説教 


2018年4月29日 「失敗と悔改め」     
聖書:士師記 2章8節−23節    説教: 
主の僕、ヌンの子ヨシュアは百十歳の生涯を閉じ、 エフライムの山地にある彼の嗣業の土地ティムナト・ヘレスに葬られた。それはガアシュ山の北にある。
その世代が皆絶えて先祖のもとに集められると、その後に、主を知らず、主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興った。 イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった。
彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神、主を捨て、他の神々、周囲の国の神々に従い、これにひれ伏して、主を怒らせた。 彼らは主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えたので、 主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らを略奪者の手に任せて、略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。出陣するごとに、主が告げて彼らに誓われたとおり、主の御手が彼らに立ち向かい、災いをくだされた。彼らは苦境に立たされた。
主は士師たちを立てて、彼らを略奪者の手から救い出された。しかし、彼らは士師たちにも耳を傾けず、他の神々を恋い慕って姦淫し、これにひれ伏した。彼らは、先祖が主の戒めに聞き従って歩んでいた道を早々に離れ、同じように歩もうとはしなかった。 主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。
その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった。
主はイスラエルに対して怒りに燃え、こう言われた。「この民はわたしが先祖に命じたわたしの契約を破り、わたしの声に耳を傾けなかったのでヨシュアが死んだときに残した諸国の民を、わたしはもうこれ以上一人も追い払わないことにする。彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうか見るためである。」
主はこれらの諸国の民をそのままとどまらせ、すぐ追い払うことはなさらなかった。彼らをヨシュアの手に渡すこともなさらなかった。

  「士師」とは漢語で「審判・ジャッジ」の意味です。偉大な指導者ヨシュアが亡くなった後サムエルが現れるまでの約200年、イスラエルの各地に士師がおこされ、イスラエルを治め・裁きました。士師記にはイスラエルの12部族になぞらえて12人(大士師6人、ほとんど名前だけの小士師6名)の士師たちの活躍が記されています。
 
士師が登場する時には一つのパターンがあります。神を捨てて悪を行い、敵の手に渡されて苦しみ、悔い改め、神様が憐れみ士師をおこして救われるというものです。士師記はこの繰り返しです。いつもその繰りかえしなのです。
 
聖書は罪を「神を捨てて悪を行うこと」と言います。私たちはそう考えません。偽証することを罪と考えますが、聖書では、それは結果であって、神を神とせず自分中心から来たことと言います。放蕩息子は父の許で生きることを嫌って外国へ行き、放蕩に身を持ち崩しました。何でもできることの自由は考えましたが、しないでもいられる自由に気付かなかったのです。自由を放縦と履き違えたので、その結果はさんたんたるものになりました。
 
罪を犯さないに越したことはありませんが、人は肉体を持ち弱さから罪を犯してしまいます。問題は失敗した後、悔い改めるかどうかです。罪は神様から離れた結果ですが、悔い改めは神様に向かって生きることです。罪の結果は刈り取りますが、悔い改めれば神様は必ず道を拓き、救ってくださいます。
 
聖書は悔改めと赦しを説き続けます。悔い改めと赦しは聖書の全巻を挙げての招きです。失敗をして悔改めなければ人はだめになり滅びます。悔い改めれば、そこに新しい出発があります。
 

2018年4月22日 「強いられた恩寵」     
聖書:ルカによる福音書 23章26節−31節     説教:  
人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。
 
イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。 人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。 そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。
『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」
 
  キレネ人シモンは、過越しの祭りに田舎から出て来ました。たまたま自分の目の前をイエス様が十字架を負ってゴルゴタの刑場へ行くところに出会いました。倒れ続けるイエスの姿を見て、ローマも兵隊の指示によって彼が代わって十字架を負うことになったのです。恥ずかしく、できたら消え入りたい思いに駆られ、なんで自分だけがとほぞをかんだに違いありません。
 
しかしその彼が20年後にはアンティオキア教会の長老となり(使徒13章)、30年後には彼の妻は、使徒パウロが自分の母と言わしめる家庭を築いていたのです(ローマ16:13)。
 
人生には二つの苦しみがあります。自分が蒔いたものを刈り取る苦しみと、自分が蒔いたものではない、まるで側杖を食い、貧乏くじを引いたとしか言いようのない苦しみです。後者はまさにシモンの苦しみです。
 
理不尽な荷を負わされたとき、うらんでも呪っても道は拓きません。彼はそれをテコに自分の人生を見直し、神様に目が開かれたに違いありません。イエス様の愛の光の中で受け止める時、時が来ればそれが輝いてきます。このシモンの出来事を教会では「強いられた恩寵」と言います。
 
耐えられない荷を決して担わせられない主が見えているでしょうか(Tコリント10:13)。この主を見てその荷を担い続ける時、20年後、30年後、思いもかけない神様の御業を見せていただけるのです。 

2018年4月15日 「暴虐な裁きで取り去られ」     
聖書:ルカによる福音書 23章13節−25節     説教:  
ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、 言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
 
<底本に節が欠けている個所の異本による訳文>
祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。†
 
しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。
ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。
ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。 そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。 そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。

 
  ピラトは初めからイエス様の無罪は確信していました。当時の宗教家とのソリの悪さが原因の告訴であって、愛と赦しを説くイエス様が死罪に当たるはずがないと知っていたからです。
しかし、彼はイエス様を赦すことはできませんでした。保身を考えたからです(ヨハネ19:12)。彼のアキレス腱は自分自身だったのです。すると私たちはピラトを責められません。私たちも小ピラトだからです。
日ごろローマに圧迫されていたからでしょうか,ピラトがイエス様を赦そうとしていることを知ると、人々はイエス様を十字架につけることを執拗に要求しました。彼らは祭司長たちに扇動されたのでしょうが、しだいにピラトを追い詰め、ついに無罪の者を罰する決断をさせてしまうのです。力の強い者が悪く、弱い者が正しいのでは決してありません。強い者に強い者の横暴と、弱い者には弱い者のずるさや醜さがあります。
 
この裁判を見たペトロはこう証言します。「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」(Tペトロ2:22−24)
 
正直者が損をし、厚かましい者が甘い汁を吸う。「神様、あなたの目は節穴ですか」と思える時もあります。しかし、必ず帳尻はあわされます。また、それによって神様の大きな業が現れます。
 

2018年4月8日 「キリストとどう関わるか」     
聖書:ルカによる福音書 23章1節−12節    説教: 
そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。 そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」
そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。
ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。
しかし彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。 これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、
 
ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。
彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。
それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。 祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。
ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。
この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。
  ピラトはイエス様の無罪を確信していました。祭司長たちはイエス様を政治的な犯罪に捻じ曲げて訴えてきましたが、彼はこの裁判の危険性を感じていました。本質は祭司長たちの妬みであることを見抜いて無罪を確信していました。ユダヤ人たちの思惑通りに動くことは彼のメンツが許しませんし、完全にユダヤ人と対立することの危険性もよくわかっていました。
たまたまヘロデが祭りのためにエルサレムに来ていることを知るとこの問題の処理をヘロデに投げかけたのです。しかし問題を先送りにしても後では倍になって返ってくるのです。
彼はローマの総督として絶対の力をもっていました。しかし彼はイエス様を無罪放免に出来ませんでした。彼以上にユダヤ人がしたたかだったこともありますが、ピラトは何が正しいかよりも、何が妥当なことかを考える政治家だったからです。その元にあるのは彼の保身でした。損得、妥当か否かで行動する者は、救いに肉薄できず、それを自分のものとすることはできません。
 
ヘロデはイエス様に会いたいと願っていました。イエス様から神様の救いを聞くためではありあません。イエス様の行う奇跡を見たかったのです。自分の興味だけでイエス様に接しました。そして自分の問いに一言も答えないイエス様を兵士たちと一緒になって侮辱しました。ヘロデは、たった一度のイエス様との出会いのチャンスを失ったのでした。
 
イエス様は十字架への道を進みます。人の罪の赦しのために十字架にかかり、人を神様にもう一度結びつける、これ以外に人の救いはありません。「絶対的なことには絶対的に関わり、相対的なことには相対的に関わる」(キルケゴール) 私たちはイエス様にどう関わるのでしょうか。

2018年4月1日 「一緒に歩まれる主」  
聖書:ルカによる福音書 24章13節−27節   説教:
ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。
話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。 しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」 イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。 それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。 わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。
ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。

  イースターの夕方、クレオパともう一人の弟子は、寂しげにエルサレムを後にしました。甦られたイエス様は彼らを見て一緒に歩かれました。
彼らの思いを占めていたのは、イエス様が十字架であっけなく亡くなられたことでした。二人はイエス様こそ神から遣わされた預言者であり、言葉にも行いにも力があり、イエス様に夢も希望も託していました。ところが祭司長たちがイエス様を十字架につけ、イエス様もあっけなく亡くなられたということでした。
更に甦られたイエス様のことは伝えられていたのに、その報告が彼らに少しも影響を与えなかったからです。婦人たちの報告は二人をかえって混乱させました。死ほど人を完全沈黙させるものはありません。死んだ者が甦ることなど考えられないことだったのです。
人は何かにとらわれると、周りのことが見えなくなります。二人の目はのはさえぎられて、イエス様が一緒に歩んでくださっていることに気づきませんでした。
 
共に歩まれたイエス様は、聖書全体からイエス様の上に起こったことを説き明かされました。イエス様が人々のために十字架にかかり、罪の赦しを神様に願い、人々を神様に結び付けてくだったこと。神様はイエス様の十字架をよしとして甦らせてくださったこと。甦られたのは私たちと一緒に歩んでくださるためであること。そして事実これを説き明かされただけでなく、意気消沈した二人の弟子と共に歩んでくださっているのです。そして私たちとも。
 
イースターは、かつての日に、イエス様がよみがえったことを記念する日ではありません。
甦って、今も私たちと一緒に歩んでくださっていることを確認し、祝う日です。